起床。
ふらりと眠ってしまってそのままのブログでした。
まだここが、残っていたことに驚きです。
突然更新を止めてしまい、まずは謝罪の言葉を。申し訳ありませんでした。
目覚めると、周囲は随分と違う世界になっていました。
今までコメントを下さった方々は、ほとんどがもうブログを停止してらっしゃいました。
一年半前のサイバーの世界とはちょっと色が違うなぁ…と思います。
ブログランキングを見ていてもそうです。
上位層の点数と下位層の点数に前ほど開きがあまりありません。
過去よりもより多くの方がブログを書いている証拠と言えます。
多くの人がブログを書く中、ちょっと色の違うブログを書いてみたいな、
と思って始めたこのブログでした。
嬉しいことに。
数人の方がポツポツとコメントを下さいました。
一年半前のことですが、あの喜びは未だに覚えています。
僕の中では、それは、ブログをやっていて大成功と言える瞬間でした。
さて、今現在。
僕の周りの環境も変化し、僕も若干忙しくなってきました。
自身に対して迷うことや、行動せねばならないことが山ほどある時期を向かえています。
その怒涛の中。
自分の心の中で、またおかしなキャラクター達が騒ぎ出して来ました。
またおかしな状況が浮かび上がってまいりました。
相変わらずシュールで、どうしようも無いキャラクター達の動き出す、
シュールでどうしようも無い世界なのですが。
また細々と書き留めてみようかと思います。
一ヶ月無いし、二ヶ月くらい続けば良いか。
週に1回ないし2回ほどの更新を目指そうかな。
そんな感覚で細々と肩の力を抜いて書き留めてみようかと思っております。
お暇な時、馴染みにラーメン屋に行くときのように。
ちょいとふらりと寄っていって頂けたら幸いです。
自分の内面に着目する。
内部をどこまで掘り下げても終わりが無いことに気付く。
どの段階の内面でも
それは違う世界の様で似ている世界であり、
似ている世界の様で実は違っている世界である。
心というのはフラクタル(自己相似系)構造を持っていると言えるのだろうか。第二部。会戦です。
→
はっぱフラクタル
- 2008/05/04(日) 22:50:32|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
眠れないときは羊を数える。誰が言い出したのかは知らないが、かなり有名な方法ではないかと思う。だが、いつも疑問に思うが、数えられた羊をどうすればいいのだろうか?別の柵の中に入れるのか?小屋に帰すのか?しかし、そのような対処法では安眠への道は遠い気がするのだ。
どうしても眠れない。そうだ、こういうときは羊を数え上げればいいんだ。
まずは大量の風船を用意。
『羊が1匹、羊が2匹…』
1匹数え上げる毎に羊を風船にくくりつける。空にフライハイする羊達。星に成りゆく羊を見れば、それはぐっすり眠れるというもの。
眠れぬ夜は羊カウント開始。さぁ、レッツトライ。
『羊が1匹…』 『はーい、お疲れしたー』
『羊が2匹…』 『どうも、お疲れっす』
羊を数える毎に、羊の着ぐるみを脱ぎだし自分に挨拶するエキストラ達。そんなに大量のエキストラに挨拶されたら、それは眠らないと失礼だろう。
こういう眠れない夜には、羊を数え上げるのが有効手段だ。
『羊がいっぽき…羊がにぽき…羊がさんぼき…羊がよんひき…』
もはや、羊の単位が 『匹』 であることも忘れ、新たな単位を開発する斬新さ。このような斬新なアイディアを見せ付けることにより、自信を安眠の道へと誘う。よんひきは何故普通なのかと考えては、安眠への道はまだまだ遠い。
羊を数えなければならない。そういう寝苦しい夜もたまにはある。
『羊が1匹…羊が2匹…そして時にはNever End Dancing』
正直自分でも意味が分からないが、これくらいの勢いでもっていった方が、ぐっすりと眠れるとは思っている。
様々な解決策を模索し続けたが、これは答えの一例でありまだまだ本質へは遠い。もっと色んな道を追求しないと安眠への道は約束されないのだ。とりあえず…もっと…羊の数え方を…考え…なくては……ぐー。
- 2006/07/07(金) 18:13:16|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
今はもう放映していないが、昔はアメリカ大陸をクイズのみで横断する、というテレビ企画があった。知力、体力、時の運が必要なその番組。子供心によく見ていた気がする。しかし凄いのは、アメリカという大陸を渡る手段が、クイズのみであるという点だ。企画内容によっては、その番組は恐ろしいカオス臭を放っていたに違いない。
今年もついにあの季節がやってきた。古今東西の調味量に関して、己の知識を遺憾なく発揮。その知識のみでアメリカを横断する 『アメリカ横断ウルトラさしすせそ』 が開催されるのだ。この日のために己の調味料知識を磨いてきた挑戦者。一回戦目の 『塩か砂糖か○×クイズ』 が運命の分かれ道。
お腹のお肉が気になる。二の腕のこのタルミ具合。普段の女性にとってはマイナス要素となるこの体も、この日は話が違う。己の肉体のぷよぷよ具合でどこまでの突き進め 『アメリカ横断ウルトラぷよぷよん』 。何の企画なのかイマイチ分からない。しかし、この時期。一部の方々が修羅となることは間違いない。
『アメリカ横断ウルトラ家族会議』。想像は出来る。何をしたいかも薄々は分かる。だけど、決してテレビでは見たくない。そんな思春期な繊細な心。
今まで培った技術で、アメリカ横断を目指す。子供からお年寄りまで、この日は誰もがチャレンジャー。毎年恒例 『アメリカ横断ウルトラムチ回し』。 参加者が女性限定なのには、何も他意はないものと信じたい。
様々な可能性が考えられたが、結局クイズに落ち着いたこの配慮は正解と言わざるを得ない。それにしても、今現在テレビで 『ウルトラ』 という単語をほとんど見なくなった。そんな切なさも併せ持ち、僕はニューヨークへ旅立ちたい。
- 2006/07/05(水) 23:24:42|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
そろそろ、お盆に実家に帰るための計画を組まねばならない時期に来ているだろう。お盆は帰省のラッシュパンチが放たれる時期だが、それを代表する現象は間違いなく渋滞ではないかと思う。しかし、渋滞とは何故起こるのだろう?あんなに大量の車が、立ち往生をくらうあの現象。それには何か、神秘的なメカニズムが含まれているに違いない。
今年のお盆の渋滞も、中々に長い。一体何が原因でこうなったのだろうか。イライラの募る運転手。だが、イラついてもどうしようもないこの気持ち。
渋滞の先頭。車をせき止めている一人のマッチョ。お盆に毎年見られる。マッチョの孤独な闘い。勝つのは渋滞か、マッチョか。彼の闘いは終わらない。
最近、全国の高速道路に茶色の巨大なゴリラが、車をかっ飛ばしているとの情報が流れている。そのゴリラは大変行儀が悪く、運転中にバナナの皮を沢山投げ捨てているとのこと。そのバナナの皮に滑ってスリップしてしまう、一般車両。その事故により、引き起こされる渋滞。この危険な行為に国民の怒りも絶えないという。せっかく集めたコインを返せ。
高速道路交通法規より
『運転中、運転者が『これは渋滞だ』と感じたときは、運転席を後方に倒し、ブリッジしながら足で巧みにハンドルをさばくこと』。
これを頑なに守っている人達を、穏やかに見ていられる。そんな懐のでかい日本国民に皆もなろうよ。
色々と思うところあり、ストレス溜まることもあろう渋滞。でも見方を変えれば、案外楽しめるものなのかもしれない。
- 2006/06/30(金) 21:25:13|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
昨日はちょっと友人と、ちょっと軽く飲んだ。突発的に始まった飲みだったので、おつまみも何も無かった。棚から何かつまみ代わりになるものはないかと探したところ、衝撃的な出会い。― 『うまい棒』。
正直な話、僕は人生21年。うまい棒を食べたことは、過去5回もなかった。あまり食べる機会が無かったのだ。飲んだ家は友人宅だったのだが、うまい棒を食べてみてこんなにもうまいものかと感心感激雨アラレ。自分の視点が、また一つ大きくなったことを実感。
この感動は野放しに出来ない。新たな味のうまい棒を考案し、感謝の気持ちを捧げねば。
― うまい棒 『おふくろの味』 ―
誰もが、その味に懐かしさを覚え、そして誰もがその味に自分を見出す。十人十色違うと言われ続けていた、あの 『おふくろの味』 をついにうまい棒が再現。中には、涙を流しながら食べるサラリーマンの姿も。おふくろの味が、全国の製菓産業界に旋風を巻き起こす。
― うまい棒 『炭酸味』 ―
絶対に出来ないと思っていた領域すらも、絶対に超えられないと思っていた壁すらも、うまい棒は易々と乗り越えていく。口にした瞬間、うまい棒独特のサクサク感と、炭酸独特のシュワシュワ感が、あなたのお口にダブルパンチ。ありえないそのヤミツキ感。魅惑のコラボレーション。
― うまい棒 『うまい棒味』 ―
最初は皆分からなかった。ついに、うまい棒も力尽きたのかと思っていた。こじつけに走ったのかと思っていた。だが、現実は違う。うまい棒味のうまい棒を口にした瞬間、口腔内に広がる衝撃。 『これは…うまい棒だ…!』。 うまい棒味という革命に打ちのめされる消費者。今、確かにそこにあるうまい棒味。
― うまい棒 『あのころの涙味』 ―
それぞれが、それぞれに抱えたドラマがある。流した沢山の涙がある。それはある種、生きてきた証。その証すらも、うまい棒は絶妙に再現。一口食べた時、あの頃の涙の思い出へと、あなたを誘ううまい棒。中には涙を流しながら食べるサラリーマンの姿も。あのころの涙味が、全国の製菓産業界をしっとりと濡らす。
酔っていたからか、昨日のうまい棒は美味しかった。じわじわ広がる感動があった。だが、その感動を伝えようと強く思うのに比例し、僕の中のうまい棒は混沌の世界を見せてゆく。届かないこの想ひ。それはまるで恋のよう。
その独特の切なさすら、うまい棒によって再現されてしまうのかと、恐れ敬う畏怖の念。
- 2006/06/26(月) 20:37:11|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:6
次のページ